ヨシヲです。
今回は、野球のお話です。
2021年10月20日。メットライフドーム(西武球場)で、松坂大輔投手の引退試合が行われました。痺れも酷いらしく、全盛期の球のキレはもうありません。本人はマウンドに登ることすら苦しかったと思います。しかし、ファンの皆さんに今の自分の姿を見て欲しいという思いで、最後のマウンドの登ったとのことでした。この姿を見た時に、目頭が熱くなってしまいました。
松坂投手と言えば、平成の怪物ですね。
甲子園での活躍
まず甲子園での活躍。準々決勝のPL学園戦、是非はともかく延長17回250球を投げきり完投勝利。しかも翌日の準決勝の明徳義塾戦でも1イニング登板して、逆転勝利。決勝の京都成章戦では、史上二人の決勝戦でのノーヒットノーラン。もちろん優勝。あの年の甲子園は松坂投手のためにあったと言っても過言ではないでしょう。そのくらいのインパクトでした。
プロデビュー戦での衝撃
プロ入り後のデビュー戦。日本ハムファイルターズの片岡選手から高めのストレートで見事な三振。あの映像は松坂選手のデビューの記録として何度も何度も流されることになります。
イチローとの対戦、そしてあの名言
そしてイチロー選手と初対決。なんとあのイチロー選手から3連続三振。そして、
「自信が確信に変わりました」
という名台詞を残します。衝撃的な言葉ですよね。並の選手であれば、たまたまですとか言うところでしょう。
国際大会での活躍
その後のプロ野球での活躍は当然のこと、国際大会でも活躍します。国際大会でのエピソードとしては、城島選手とバッテリーを組んでいた時に、対戦相手の国(どこか忘れました、、)が、ベンチからコースを指示してたっぽいんですよね。野球のルールとしてはそれは禁止なのですが、国際大会は勝ってナンボなので、そういう違反ギリギリ(アウト?)のこともされるそうです。打者の感じから城島選手の構えた位置が打者に伝わっていると考えた松坂・城島バッテリーは、逆玉作戦に出ます。調子(コントロール)が悪いフリをして、わざと城島の構えたところの逆に投げるのです。これで相手を混乱させていたそうです。本当にコントロールが良くないと出来ませんよね。
メジャーへの移籍
メジャーリーグ(ボストン・レッドソックス)に移籍してからも大活躍でした。ただ、怪我に泣かされたりして後半は思うような成績は出せませんでした。
日本球界への復帰
日本に帰ってきてからも、ソフトバンクホークス、中日ドラゴンズ、西武ライオンズとチームを移りましたが、本人が思うような成績は残せませんでした。
プロ野球選手としての後半は、不本意な成績が続いていたかもしれません。とは言え、松坂投手は平成の怪物と言われるだけあって、やはり時代を象徴する野球選手であることに違いはありません。本人は松坂世代と呼ばれることにあまり良い気はしてなかったようですが、松坂投手以外の同世代は自分は松坂世代だと思っていたと思います。「松坂」という山の頂上があり、みんなそれを見上げていたのではないでしょうか。
最後に、、、
最後に、松坂投手、今まで本当にお疲れさまでした。しばらくはご家族との時間を大事にしていただいて、いつか(近いうちに?)ユニフォーム姿を見られることを楽しみにしております。
松坂世代のはしくれのヨシヲより、尊敬と感謝を込めて。ありがとうございました。